何のために読書をするのか?

読書

何のために読書をするのか?

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楽しいからだ。

以上です。。

いや、終われない、これで終わっては書く意味がない。

その辺で独り言を言ってるのと同じだ。ブログに書くからには何かしら落とし所をつけるべきだ。

そして、べきという言い方は嫌いだ。

私自身が読書をする理由は以下の二つがある気がする。

・知りたい事を学ぶため

・自分の考えの答え合わせのため

一つ目はわかりやすいであろう。何かを知りたい時、もしくは何かの壁にぶつかってその対処法を求めて本に行き着くあれだ。とにかく今まで本によって色々なことから助けられた。仕事での対処法、人間関係の対処法、コミュニケーションだの考え方だの色々である。自分が困っている事は先人がとっくに解決している事なのだからそれを易々と受け入れればいい。そんな事を教えてくれたのも読書である。立場上、部下や同僚からいろいろな相談を受ける。

・どうしたら仕事が早くなるか

・残業を無くすにはどうしたらいいか

・どうしたら出世できるか

・上司とうまくいかない

・数字に強くなりたい

などなどだ。

はい、何かの全部本に書いてあるよ。

と、無下に扱ったりはしないが、もちろん自分の知見を使ってアドバイスもするが、何で本を読まないんだろうか?答えは全部書いてあるのに。。とも思う。

『本を読んだ方がいいよ」というと「じゃあどんな本がいいですか?」。。。また聞くか。。まあそんなもんだ。

とにかく私はほとんどの困りごとを本から、読書から学んだ気がする、助けられたきがする。だから読書が好きなのだ。

二つ目は、少し理解しにくいかもだが、自分の考えや行動何正しいか?正しいとは言わなくても間違ってないか?少しは良い方向に行くか?を確認するために本を読む。つまり自分自身への答え合わせだ。

この読書をすると自分の考え方に少し自信を持てることがある。もちろん答え合わせしに行くので、自分の考え方と同じような考え方の本を探しに行く、あるいは同じ考えのセンテンスを拾いに行く事になるのは仕方がないと考えている。人間なんてそんなもんだ。

自分が楽しければいい。

そもそも読書はそういうものだ。

・知りたい事を学ぶため

・自分の考えの答え合わせのため

そのために私は読書をしている

同じような事を手に入れたいのであれば読書をすべきである。

そして、私はべきという言葉が嫌いだ。

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